さようなら、殺人医師

♪勇士の叫び(坂本英三)

僕が初めてプロレスを見始めて暫くしたある年の正月、
ゲーリー・オブライトが亡くなった。
つい最近までリングに上がっていた彼の突然の死に、
ティーヴ・ウィリアムスはコーナー上から「TOPアピール」で見送っていた。
後追いの僕にも彼らがTOPというチームで共に戦っていたという知識はあり、
ひげ面のウィリアムスが瞳に万感を湛えていたのを覚えている。


全日本ファンだった僕ではあるけれども、
既に見始めた頃にはウィリアムスは選手として下降線上にあり*1
多くの選手がNOAHに移籍していった後、新日との対抗戦に出ていたことぐらいしか印象になかった。


後年、伝説と言われているvs小橋健太*2を見て
その印象は一変した。
若い熱気をムンムンにして突っかかってくる小橋に対して、
何発ショルダーアタックを受けても微動だにしないウィリアムス。


そうか、こいつは「強い」んだ。


その存在感は惚れ惚れするほどであり、目玉を向いてますます闘志を燃やす小橋をより輝かせながら
しかも超急角度のバックドロップを何度も叩きつけて、粉々に打ち破ってみせる姿は
正に「風車の理論」を実践した王者の風格であり、優れたプロレスラーそのものだった。


その頃聞き知ったのは、
全日本を離れた後もIWAジャパンというインディー団体にあがっていたこと、
咽頭がんからリングへ復帰したことだった。
小橋建太が腎臓がんに倒れたとき、彼の例を思ったファンは多く、
実際にウィリアムスも小橋にエールを送っていた。


そんな殺人医師が昨年末、この世を去った。
10月には晩年にあがっていたIWAジャパン引退試合が予定されていたが、
体調が悪くついに実現しなかったという。
ゲイリー・オブライトの死から、数えたようにちょうど10年。
また一つ時代の火が僕らの下から去っていった。


ウィリアムスvs小橋から始まった四天王プロレスは多くの人間を興奮のるつぼに巻き込んだが、
今や「頭から落とす技を連発する」危険性が指摘され、
実際にその体現者であった三沢光晴はリング上で命を落としてしまった。
時代はゆっくりと確実に、進みつつある。


それでも確かにあの日、彼は強く、雄雄しく、遥かな壁だった。
リアルタイムで見ていた人にとっても、今から見る人にとっても、きっと変わらないだろう。


彼が表舞台を去り、病に倒れ、そして戻ってきた時、彼は遥かな星になっていた。
今彼は遠くに去ってなお、遥かな星であり続けている。
R.I.P。

*1:その頃はベイダーが最強外国人として君臨していた

*2:全日の頃はこの表記が正しかった