メロン記念日の思い出 その4 戦友たちとの2005

今日のプレイリスト

  1. Still I Believe - FAIR WARNING
  2. 待ち合わせ - 松浦亜弥
  3. This is 運命 - メロン記念日
  4. MY SOUL FOR YOU - Fire Bomber
  5. ANGEL VOICE - Fire Bomber


この書き込みは、アメーバなうでkobasがつぶやいたものを基にしています。
お見苦しいところ、記憶違いなど多々ありますが、
なるべく記憶の色を生々しく残したいという想いによるものですので、ご容赦ください。
またこの企画については、Twitterハッシュタグ #melon_m で思いつき次第しゃべっています。
誰かにメロンの思い出を話したくなったら、使ってください。

松浦亜弥ライブにメロン記念日

この先も結構個人的な話が多くなるのかな。その辺りはご了承願いながら話していくとしよう。


松浦亜弥コンサートツアーのゲストにメロン記念日。2004年、ゲストの支援なくツアーを回って来た僕らには、
困惑を隠しきれない通知だった。


そもそも松浦亜弥メロン記念日って、
前から不仲がささやかれていて、
更に2004年は松浦もそうだけどメロンも比較的順調に単独路線を歩んでいたわけで、
出会いがしらにまた出会ってしまったような「ゲストツアー」だった。


そんな感じで始まった春のライブツアー。これがまた波乱万丈だった。
まず二週目で松浦亜弥熱愛発覚という事件が起きる。
更には僕自身も、今までの中でも最高レベルの高熱を出して数日寝込んだりした。
もうすぐハワイツアーなのに、ライブでも自身の出来は悪いままで、
正に冷たい春の日々。メロン記念日とも、向き合うことを避け続けていた。

「戦友」誕生。

そんな僕の心を先に溶かしたのが松浦亜弥だった。
人付き合いの苦手なアイドルである彼女が、メロン記念日を仲間として、
社交辞令じゃない熱を通い合わせていく日々が、
僕をもう一度、メロン記念日と向き合わせていった。


2回目のハワイツアーは、今までの全てが一度に溶けていくような常夏の日々だった。
雪が氷が春の日差しに、音を上げて零れ落ちていくように、
僕は帰りの飛行機の中で一人泣いた。
ヲタをやっていて、初めてのことだった。


それからの一年、W(辻希美加護亜依)を加えて、
松浦・メロンとの7人のハロプロパーティー
そしてハロプロパーティーNEO。
メロン記念日ともしっかり向き合い、
ライブを共にする「戦友」「盟友」という気持ちを強めていった。


道のりは平坦ではなかった。
個人的な問題もあったし、メンバー達も時には怪我に悩まされた。
地方回りも後年には見られないほどの小さい町まで出向いていった。
気がつけばヲタが前方に隔離されていた!とか、会場の半分が空席!とか。


そんな中で僕は時にぶつかっていき、時に助けられ、
時に笑われ、時に(柴田を)ないがしろにし、時に(柴田に)邪魔をされ・・・
そして斉藤・村田・大谷・柴田、4人をそれぞれ愛しく。
思いながら、一年を終え、別れの日を迎えた。
そんな日々は伝説になるはずだった。
実際、伝説だと思っている。


そして今は、その伝説を超えた何かが胸に宿っている。
松浦亜弥から始まった伝説を貫く、もう一つの物語が、
柴田あゆみから始まっていたのをそのときはまだ気がついていなかった。