青春の光(CD化運動物語)

この文章を、安倍なつみと、彼女の光を信じていたT氏に捧げる。

CD化運動

僕がkobas stationを立ち上げて3年目、2001年。高校3年生の春だった。
モーヲタ*1という言葉が、コンサートへ参加する段を踏んだ時から適用され始めるなら、
ちょうどヲタとして歩き始めたその頃。
安倍なつみがラジオで作詞した楽曲を、CDにしたいという動きが持ち上がっていた。


ラジオで生まれた、彼女自身の手になる歌詞がついた曲を、ファンの要望でCD化する。
それは、ファンの手で彼女をソロデビューさせることに他ならない。


当時安倍なつみファンだった僕は、ホームページに支援用のコーナーを作った。
もうホームページ自体、頑張ってコンテンツを作ろうとしては中途挫折するの無限ループに陥っていたころで、
お世辞にも出来の良いページではなかった。


だがある日、CD化運動の代表から僕の下に連絡があった。
青春を彩り、その後8年に及ぶハロプロ・ファン人生の下地となる、大きなうねりが僕を飲み込みつつあった。

公式ホームページ、そして直接行動

勿論代表からは挨拶程度の話だったのだが、どういう経緯か、僕が運動の公式サイトを作ることになった。
きっと僕がその頃から、骨を惜しまないタイプの人間だったからだろう。
自分の作品は世に出していた頃だったが、他人のものを作るのは初めての経験。
代表からの要望や、自サイトで培った技術を基に、着々と作成は進められた。


丁度その頃は個人ファンサイト華やかなりし頃。
大手サイトや、同じラジオ番組に出ているメンバーのサイト、モーニング娘。のファンつながり、
多くの人々がそこに集い始める。
僕はあいさつ回りや、運動関連で代表と電話連絡を取ったりと、気がつけば中心人物の一人になっていた。


僕らがラジオ音源から起こした歌詞を、番組の公式サイトにそのままコピペされる*2珍事があったりしたころ、
運動は一つの局面を迎えた。
番組に対して楽曲の放送要望を、いっせいにメールで叩きつけるという直接行動だった。
今思えばあまり誉められたものではないが、それほどの時を経ずして放送は実現。
過去二度放送されていたのとは異なるアレンジに、僕らは夢の近さを信じることが出来た。

運動との別れ

だが、運動はその後急速に衰えを隠せなくなった。
版権がらみの大人の事情を理解しないで始まった運動でもあったし、
直接行動に出る事が難しくなっていったこともあって、運動の方向性を見失ってしまった。
小さないさかいや出来事を挟みながら、少しずつ冷えていく情熱と、遠ざかる夢。


それは代表が手を引き、大学合格後に僕が引き継いだ後も変わらず、
最後は僕自身が他者に運動を引き継ぎ、僕の夢は終わった。
安倍なつみのソロデビューは2003年に実現したが、特にCD化という動きはなく、
更に言えば同番組の作詞企画が、彼女の盗作騒動の舞台になる*3というオチまでついた。

終わりに

夢はたとえ叶ったとしても、夢のまま現れるわけではなく、必ず現実の姿でやってくる。
モーニング娘。という夢物語の裏にもまた、現実が寄り添っていた。
僕らの夢物語には現実が寄り添っていなかったし、それが分からなかった。


けれども、僕はそこに青春の光を見ていた。
今振り返っても、その時間はキラキラと輝いていて、単純に素敵なだけじゃなかったからこそ記憶に焼きついている。
そうやって情熱を燃やして、それが徒労に終わることさえ、青春なんだ、って。


今の僕は、あの時ほど素敵な夢を見ていないけれど、過去を振り返る時間が許されている。
せめてあの運動に関わった全ての人が、素敵な夢を見ていることを祈りたい。
そしていつかまた、同じように素敵な夢を見たいと思っている。


例えそれが現実に飲み込まれていくとしても。
心から情熱を燃やして。

*1:モーニング娘。ヲタク。既に死語かもしれない

*2:元々あった誤字が訂正されていなかったため、発覚した

*3:ちなみに僕らが推していた楽曲は盗作の対象とはされていない