メロン記念日の思い出 その3 一度目の別れ、そして

今日のプレイリスト

  1. Remember Me? - HEARTLAND
  2. MI DA RA 摩天楼 - メロン記念日
  3. 肉体は正直なEROS - メロン記念日
  4. YOKOHAMA SING A SONG - 松浦亜弥
  5. 元彼 - 松浦亜弥


この書き込みは、アメーバなうでkobasがつぶやいたものを基にしています。
お見苦しいところ、記憶違いなど多々ありますが、
なるべく記憶の色を生々しく残したいという想いによるものですので、ご容赦ください。
またこの企画については、Twitterハッシュタグ #melon_m で思いつき次第しゃべっています。
誰かにメロンの思い出を話したくなったら、使ってください。

2003の別れ

今回は個人的な話が主になるんで、ちょっとそれをお許し願いたい。
メロン記念日との関わりが出来たのが2002年。2003年の秋にそれは一旦解消した。


その頃ってメロン記念日界隈が、コンスタントにツアーを打てるようになりつつあった頃でもある。
ちょうど2003は後藤(真希)さんとツアーを回ってたのかな。
その合間に単独ツアーをやって、僕が参加したりもしていた。
メロン記念日メロン記念日のファンは元々特殊な雰囲気に包まれていたが、
奇妙な連帯感というか、そういうのに自分が遅れをとっているのも感じていた。

その頃僕は松浦亜弥のファンとして脂が乗り始めたころで、
そっちに専念したいという気持ちが日に日に強くなっていたことが大きい。
それは言い訳かもしれないけど、
確かに「メロン記念日」という世界は一つの世界になりつつあって、僕は取り残されていた。


2003年の10月にラジオ公録があったが、僕は何もすることがなかったのを覚えている。
逆に、いつも現場にいるメロンヲタ達は喜々として現場に取り組んでいた。


同じ現場で2002年の7月(ハロマゲドン前夜だぜーおい)に現場があったときは、
じっと見つめているだけで手を振り替えしてくれた。*1
そんな甘い奇跡は、メロンには本腰を入れることの出来なくなった僕に訪れなかった。

2003-2004-2005

そして、僕の松浦ヲタとしての飛躍の2003-2004年が始まった。
同時に人生のレールをガタンと力強く踏み外した。
ハワイツアー(!)、全国ツアーも二度、ほとんどの会場を回った。楽しかった。
松浦さんは僕に優しく微笑みかけてくれるばかりではなかったが、
こっちを向かせてやるぜって気持ちが持てる相手だった。
気にしないで突っ走れちゃう若さもあった。


そして運命の2005年が始まった。
2005年の最初のタスクは親との衝突で、そして、2度目のハワイツアーへの金策
それを乗り越えた僕に待っていたのが、メロン記念日との再会だった。


つづけ

*1:ちなみに振ったのは柴田だ