小説「つきあかり物語」

小説「つきあかり物語」

目次
  • 皮衣
  • 玉枝
  • 石鉢
登場人物

公達を妖かしとの戦いに駆り立てる美しい姫。

  • 公達

姫の思いに応え、妖かしとの戦いに挑む。

  • 護宝の妖かし

宝を秘めた人外の存在。

−月明く、星未だ見ぬ夜のこと。


御簾深く、その姫は佇んでいた。
見つめている公達にとって、真に佇んでいるかはしかし、大した問題ではなかったかもしれない。
おぼろげに照らしだされたその影が、地に伸びいくつにも分かれてゆく。


あの美しい姫と、この満天の望月の下、自分は今帰る宛なき旅路へ出ようとしている。
全てが物語を彩るように集まり、まるで一枚の絵のようであった。


生い立ち、貴卑に差はあれど、いずれ劣らぬ智と武勇の士。
・・・それが一人の姫に懸想している。
口さがない都童たちは、様々に囁きあっていた。
文を遣るとも遣らぬとも、逢瀬を遂げたとも遂げぬとも・・・


ある日、姫の出した答えは、まるで意外のものであった。


この世は未だ、多くの闇を残している。
その中にも護宝の妖かしと言って、とみに巷を恐れさせている人化のものがいた。
妖かしを倒し、その蔵している宝を捧げた者と結ばれんというのである。


宝を抱える妖かしの話は、仄かに耳にしたことはあった。
それを手にすることが、人の世の理を超えたものであることは想像に難くない。


旅立ちは、望月の夜である。
・・・そこに姫は一言、言葉を添えた。
思いが固まったなら、その前に一度だけ、会いたい。


夏、望月の夜。
御簾深く佇む姫の下へ、旅立ちを告げに来るものがあった。


無数の影が1つに溶け行き、物語は始まる。
−月明く星未だ見ぬ夜のこと。

皮衣

男は人並み優れて才あるものであった。
自分の力を信じて疑わず、事実、力あるものであった。


そんな彼が美しく才に溢れた姫を想うのはごく自然なことであり、
結ばれるであろうこともまた、物語が必ず結末を迎えるのと同じくらいのことだと。
信じてはじめた矢先のことであった。


その夜、二人はある破れ寺で落ち合った。
長く伸びた黒い髪は月の光に蒼く染まり、黒目がちの大きな瞳は男を試すように迎えている。
体からは仄かな香気が流れ、その華奢な姿が強い魅力に満ちつつあるのを男に伝えていた。


「ここで逢えたということは、心は決まったのですね。」
芯の通った強い声が響く。
「無論です。」
「お伝えしたとおり、もし宝を持ち帰られたならば、私はあなたのものになりましょう。」
「・・・まるで仕方なしに、というように聞こえますね。」
「・・・そう聞こえる?」
「少なくとも、死をも覚悟の上という男に捧げる言葉ではありませんな。」


男は不敵に笑うと、
「とはいえ、僕は生きて帰ってあなたを妻にするでしょう。
 これが何かの物語であれば。」
そう続けた。


「・・・これが何かの物語なら、あなたは死んで帰らないわ。」
「いや、生きて帰るでしょう。
僕の物語を描くのは僕自身ですから。」
「あたしは、
・・・あなたの物語の登場人物?
・・・それとも人形か何かかしら?」
「いやだな、あなたはあなたですよ。」


二人の間を生ぬるい風が吹き、ついで一際強く、涼やかな風が吹き抜ける。


「でなければ、僕もあなたもここにはいない。
 ・・・そしてこれは物語ではない。」


さみしげに笑うと、男は踵を返した。
「行ってきます。」
「・・・無事を祈っておりますわ。」
「まるで仕方なしに、と聞こえますね。」
「そう聞こえるなら、・・・ちゃんと伝わってないのね。」
女の笑いも悲しみを称える。
「・・・帰ってきたら伝えたい言葉が沢山ありますよ。」


月の光に照らされて男は歩き出し、影さえやがて巷へ消えた。


あの才ある男が、消し炭のような姿で見つかったのは、望月の夜が明けてからのことであった。
無残な肉体とは別に、まるで残されたように衣だけが朝日に輝いていたという。
童たちは彼がその才を頼む故に妖かしの怒りに触れ、晒されるような死を迎えたのだ、
と口々に噂し合った。

玉枝

知と雅。
男を評して誰もがそう述べた。
学才の豊かさ、風雅への薫陶、そして美しい姿形は童たちの噂の的であった。
当然に誰に懸想し、誰と逢瀬を遂げたかは常に注目される。
その中で姫の噂はいかにも、という声が上がるものであったが、
童たちの意に反して、ぼんやりと雲がかかった月のように見え隠れする程度の話であった。


月が水面に浮かび上がる、夜の川べりに二人の人影。
一人は男である。
涼やかな瞳は月を見ていてもう一人の、姫を見ていない。


初めて今日彼女の姿を見た。
短く切りそろえられた髪は、物憂げな表情の顔を丸く包んでいる。
彼の知識からすれば、それは異端にも思える姿だったが、独特の妖気にあふれ、
余裕ある態度をやや失うほどに今、彼は揺らいでいる。


「それを貴方のところに持ってくるとして、どんな意味があるのですか?」
ここに来てまず、彼はそう聞いた。
「答えを言うのは簡単だけれど、それを聴いてどうしようというの。」
鋭い瞳を軽く彼に流しながら、それっきり何も言わない。
しかし、立ち去るでも寄り添うでもなく、彼のそばに佇んでいる。


沈黙に抗しえずに、彼は河原の石を水面の月に向かって投げた。
姫もまた、同じように月に向かって投げた。
「月は、姿を変えるわ。」
夜に湿った女の声。
「・・・変わらない月になりたいの。」
思った以上に欲深い女なのかもしれぬ、と考えるのがきっかけになって、
「それが貴方の答えですか。」
口から言葉があふれた。
「貴方が望むなら。他の誰かではなく、私が。」
姫の微笑みが青い月の光に揺れる。
水面に映る影が重なった。


望月の夜が明け、日も高くなったころ。
ある木こりが、林の中に散乱した彼の骸を見つけ出し、菩提を弔った。
まるで枝葉が彩られたかのような凄惨な光景は、美しく優雅な生前の姿を知るものを嘆かせた。
それ故に報いを受け、この死を迎えたものであろうかとも、また。

石鉢

彼は寡黙な男であった。
武勇も知恵も人並み優れてはいたが、愛されもし恐れられもしたのはその寡黙さ故である。
それが、まるで日頃の沈着さを失うほどに恋に落ちているという。
そんな話が心あるものにもそうでないものにも伝わる頃が望月の夜であった。


姫は優しく長く伸びたしなやかな髪を称えて、ある館の離れにいた。
うつろげな切れ長の瞳は涼やかな色気を称えて月夜の満ちる世界を見つめ、
衣の上からも肉置きの豊かさを思わせる体は、世界から切り放たれたように夜に浮かんでいる。


男は現れると、通り一遍の口上を述べて沈黙した。
女は頷くと、静かに男に寄り添った。


「帰らないつもりなんだ。」


甘い声が男にまとわりついた。


「信じて、ないんだ。」


「・・・そんなことは。」


もし彼が生きて帰り宝を持ってきたとして、彼女が自分を求めるとは思えない。
さりとて逃げ出すことも出来ないから、せめて正面からぶつかることぐらいではないか。


そう思っていた。


「帰ってきて。」


この時までは。


その言葉には答えず、男は月明かりの中へ去っていった。
巌のような背中が白い光に包まれていく。


夜明けを迎えて、男はさる仏堂の中で物言わぬ姿となっていた。
何をどうして死を迎えたのかは分からなかったが、まるで石のように重くなったその体は、
多くのものを驚嘆させると共に、この寡黙な男の死を嘆かせずにはいなかった、という。
それに答える声はもう、ない。

兵の掲げる火が粛々と道をゆく。
その只中、馬上にある男の姿を、満月だけが照らしていた。
強い風がひゅうひゅうと音を立てても意を介さぬが如く、松明たちは道をゆく。
行く先に近づくのは、蒼くうねる海。


本当に強い男は、一人ではないものだ。
そう言ってはばからない自信と度量のある男。
裏打ちするがごとく、夜ごとに彼の下へ集う人間は増え、毎夜の宴には事欠かなかった。
当然に力も富も、愛すらもあり余るようになっていった。


したがってかの姫君が、その手に抱かれようとしないのはむしろ奇異である。
奇異であったがゆえに、彼は後ろに退けなくなっていったのかもしれない。


彼が馬上の身となる前のこと、姫と向き合っていた時間、いつになく一人であった。
波打つ髪と大きく見開かれた瞳を前に、一人であった。
「たった一人でここにいるのは怖いですか?」
甘い声が冷たく言い放つ。
「何のことだかわからないな。」
「本当は誰よりも分かっているでしょう。」
「俺が今一人でいるとでも?」
強い声であった。
蕭々と吹く風の音に負けない声、揺るぎない瞳。
たじろぎもしない姫の姿をじっくりと見つめている。


「俺は、・・・俺の背中は、俺を信じているすべての仲間を背負っている。」
「何故、・・・私の前ですら一人でいられないの?」
煌々と輝かんばかりの瞳に、一瞬哀しみが宿った。
「それが、強いということだから。」


−里人いわく、波の向こうに巨大な竜が住むという。
その海に多くの亡骸が打ち上げられたのは、既に夕暮れに差し掛かった頃であった。
船に乗り込み、波濤を超えて行った一団が何に会ったのか・・・


妖かしであったのか、それとも神であるが故、人のおごりを許さなかったのか。
強かったあの男達は、もはや一人もいない。
蕭々と風だけが鳴り響いている。

ある晴れた日のことであった。
降り注ぐ太陽が、走っていく少女の髪を金色に輝かせている。
少年は、彼女を懸命に追いかけていた。
陽気にあふれた野原には、多くの花や草木が芽吹き、子どもたちを祝福するかのようですらある。
少女と少年には、全てが新しく見つけ出したもののようにうつった。


走り疲れて二人が樹の根元に座り込むと、空をひゅっと切り裂くように燕が飛んでいった。
「つばめ。」
「つばめだ。」
幼い声が後を追う。
「きっとあそこに『ス』があるんだよ。」
少女は遥か遠くを指さした。
なるほど、見えるか見えないかの場所に、誰が立てたとも知らぬ、荒屋のようなものが見える。
「しってる?つばめはこどもがちゃんとそだつようにって、きれいな『カイ』を『ス』におくんだって。」
「ふーん。」
「あたし、みてみたいな。」
少年は物憂げな顔をしたが、少女のいたずらっぽい笑顔に惹かれて、走り始めた。
暖かな風が少年の背を押していく。
少女もまた、その後を追って走っていった。


そして今宵、望月の夜。
もはや彼は少年ではなく、彼女は少女ではない。


あの日、燕の巣から貝を見つけ出そうとして、
二人は荒屋の闇の中へと落ち込んだ。
それを最後の一別に、二人は会っていなかった。


彼の心から彼女の存在は消えては蘇り、・・・蘇る度に鮮やかであった。
今、御簾の奥に佇むであろう彼女の姿は、彼にも想像できない。
見つめてしまえば、何かを失う気がして。


彼女の招きを断った。


失いたくなかったのは、夢に描いた彼女の姿だろうか。


・・・いや、失いたくなかったのは、きっと勇気だ。


夏、望月の夜。
御簾深く佇む姫の下を発ち、歩みを早めるものがあった。
漆黒の夜の闇に、人外の者の息遣いゆらめく夜。


・・・いかに、妖かしといわれるものであっても、仏心をまるで持たぬというわけでもない。
等しくこの世に生まれ、輪廻を繰り返すお互いだ。
引き返せなくなる前に、言える限りの事は教えてやろう。


お前の慕う彼の者・・・あの「女の姿をした何か」、あれは人ではない。
彼の者のためとて現れたものの心に浮かぶ姿、一つ一つがまるで違う。


・・・あれは我ら、妖かしの眷属だ。


たかだか一人の・・・人間ですらないもののために、
その生命を捨てねばならぬものとは思えぬ。
どんな因果がお前を駆り立てるかは知らぬが、この道を行くに悔いはないのか?


「知れたことだ。」
「妖かしのいうことに耳をかすほど暇ではありませんね。」
「とうに命は捨てている・・・」
「俺はこの背中に、彼女を背負っているようなものだからな。」
「惚れた女のためなら。
 ・・・迷いはないのが男だろ。」


良かろう。


引き返せと言うて聞く相手と知らず、落ち度であった。
戦い終わった後、罪滅ぼしに話せることもあるに違いない。


・・・生きていればな。




望月より時は流れ、ある日の夜・・・
夜明けが近づき、宵の明星も見えてこようかという中、
姫の館に現れたのは、血まみれの戦士であった。


近習の者たちも、その異様さに怯えるより他なかった。
四肢こそ満足にあるようだが、体の所々はついばまれたように失われ、
顔は等しく赤く染まっている。
・・・全てを理解しながら誰も彼を迎えることが出来ない。


あの男が帰ってきたのだ。


門を抜け、母屋に近づこうとしたその時、彼は刀を地面に立て、静かに歩みを止める。
もはや夥しい出血を止める術はなく、やがて死にゆくさだめにあるのだ。


どれほどの間、そうしていたであろう。
彼は血にけぶる意識の中で、何者かが自分の前に現れたのを悟り、目を開いた。


そこにいたのは、衣をまとった闇であった。
衣から突き出ているのは、顔でも手でも足でもない。
一寸の光もない闇である。
誰も彼女を止められなかった理由を思う前に、彼はふらつく腕を差し出した。


漆黒の闇の中に、純白の貝がひらめき、吸い込まれていく。


刹那、その場にいる全ての人間は、彼女の姿が無数に変貌するのを見た。
時に清楚で、時に肉感的で・・・
目鼻立ちの確かさもおぼろげさも・・・
髪の色や長ささえ・・・
月の光の中、闇を無数の美しい女達が揺らめいていくのを見た。


男もまた、薄れていく意識の中で、それを見ていた。
身を通す無数の痛みと共に、自分の姿まで幾度も変わっていくような思いで。


いつしか彼女の白い手が、彼の頬をなで、血まみれの眼を拭うと、
美しい金色の輝きが彼の視界を覆い、やがてそれはつややかな、黒い髪へと変わっていく。
あの日見た瞳は涙にくれていた。
「綺麗だ。あの頃のまま。・・・いや、あの頃よりもずっと。」
「もう、しゃべらないで・・・」
「・・・どれほどこの日を夢見ただろう。幾度も・・・手が届かずに終わった気がする・・・」
衣から、強い夜の香りが移ってくる。
「きっとずっと、こうしたくて、何度も。」
それはやがて彼女自身の香りとあいまり、彼を安らかに包んでいった。


にわかに夜は開け始め、濃紺の空を朱の帯が包み始める。
空には欠け始めた月と、無数の星々。
地には抱きあう二人。
・・・やがて日の光が全てを白く、白く染め上げていった。




その宝、渡すことが出来たならば。
妖かしの輪廻を超え、人の時へと戻るであろう。
明けない夜のないように。