後藤真希のあの時代

♪Angera(Motley Crue)

その昔、モーニング娘。というのはやたらと垢抜けない集団だった。
過剰なまでの素人臭さが人の心をひきつける時代だった。


その中に後藤真希という少女はやってきた。
当時14歳くらいだったと思うのだが、髪を金髪に染め上げたその存在感は抜群であり、
多分にモーニング娘。の死につながる雰囲気を纏っていた。


結果的に「LOVEマシーン」(1999年秋)のヒットによりモーニング娘。の存在価値はV字回復し、
旧来のモーヲタ達を力任せに引き千切りながら「国民的アイドル」への道を走っていく。
危機を通り抜けた結果、後藤真希は新生のシンボルとして独自のポジションを築き始めていた。


僕は安倍なつみのファンだったから、
言ってみれば彼女は新しい時代の担い手、古い時代の駆逐者として当然厭うべき相手だった。
実際「I wish」のころ(2000年秋)に安倍なつみは目立つ位置を外される憂き目にあっていたし、
ちょうど同時期、センターポジションにいたのは後藤真希だった。


その後4期メンバー(石川梨華加護亜依辻希美吉澤ひとみ)にスポットが移行するにつれ、
新旧のエースである後藤、安倍はその両脇を固めるポジションとなった。
人気に体感的な「差」はあったが、双璧と呼んで差し支えない二人。


その頃後藤真希のファン層は後年に見られるような、体育会的な熱烈さとはまだ無縁だった。
プッチモニ。絡みで同志的なポジションだった保田圭ファンの友人は、
「僕には彼女にファンがついているのが、何故なのかが分からない。
 単に人気があるからそうなんだと思えてしまう」
と発言していた。
僕にもそれは何となく同意できた。
彼女はまるでアメーバのように淡淡と広がり、広く浅く伸びていくように思えていた。


彼女のモーニング娘。からの卒業。
それは僕らにとって、長い夜の到来と、古き良き牧歌的な時代の終わりを意味していた。


入ってきた当時の鋭く、鮮烈なイメージと裏腹に、彼女は淡淡とした少女だった。
今の言葉にするなら「ゆるゆるふわふわ」といった印象があった。
少なくとも、当時ファンであった我々にはそういう風に見えていた。
「クールなんかじゃないよ、大人でもないよ、子供だよ」
ファンなら誰もが思い浮かべるこの言葉は、アピールでもあり叫びでもあったかもしれない。


その実彼女のファン層はそんな感じの人が多かった。
安倍なつみ保田圭のファンの様に「多くを語る」ファンではなかったが故に、
僕らにはなかなか分からなかったが、
ちょうど保田圭の卒業が迫ったある時、前述の友人は僕に語った。
卒業に際して、まるでファンとしての総決算でもするかのように全国をぐるぐる巡っている最中の事だった。


「この間、○○さん(後藤真希ファン)と話してわかったんですよ」
「何で好きなのか聞いてみたんです。
 そうしたら、『理由なんてないです。ただ可愛いからですよ』って。
 そうか、『理由なんてない』んだ、って」


あの時代、後藤真希はそういう人だった。
僕らも、後藤真希も、何も知らず何も語らなくて良かった。
言葉は時代の前でちっぽけだった。
それでも、語り続けることが楽しかった。
何も分からなかったから、分かろうとして手を伸ばす喜びが誰の目にも鮮やかだった頃。


今振り返って、僕の心の中に、
天然の緩やかさと若さゆえの鋭気に満ちた吉澤ひとみと、
二人の半ば制御不能な若手に頭を抱える保田圭と、
その二人を尻目にニコニコと笑っている後藤真希の姿があの時代の原風景として焼きついている。


起きている事象のことごとくに神も仏もいないと感じる今。
もしもまだそういう、願うに足る存在がいるのならば、彼女に幸いあらんことを心から祈る。
全ての知りえたこと、全ての記憶を超えて切に祈る。