語り継ぐべき物語〜「タンポポ祭」から8年〜

モーニング娘。LOVE IS ALIVE!2002夏 at 横浜アリーナ [DVD]

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2002年9月23日。
後藤真希の卒業公演となったこの日、横浜アリーナを一つの物語が駆け抜けた。


満員の会場を埋め尽くした、黄色い輝き。
タンポポがいっぱいだよ。」
飯田圭織の言葉そのままに、揺れる輝きは一つのタンポポ畑だった。


2002年9月23日。
この日は、いわゆる二期タンポポ(飯田圭織矢口真里石川梨華加護亜依)の活動が終了した日でもある。
今やヲタたちも記憶の彼方とした物語を、未来に向けて語り継いでいきたい。

"祭り"の背景

背景には2002年8月、一方的といえる形で二期タンポポの活動終了が発表されたことがある。
二期タンポポと同時に、二期プッチモニ、オリジナルのミニモニ。も、活動終了となり、次期編成に引き継ぎとなった。


三期タンポポのメンバーとして残るのは石川梨華のみ。
「私のタンポポ」と呼び、殊にユニットへ愛着の深かったリーダー飯田圭織
タンポポだけでなくミニモニ。の活動まで奪われることとなった矢口真里
最年少ゆえにマスコット的存在でもあり、ムードメーカーでもあった加護亜依
オリジナルメンバーの前記二人を含む三人は否応なくタンポポを離れることとなった。


このユニット再編劇を通して、所属事務所*1のやり方に対し
不満を持つヲタが多くなっていた。
特に二期タンポポについては、卒業するメンバーがいる訳でなく、年齢的問題という訳でもなく、
一方的に巻き込まれる形となったために、発表当時より憤りや無念の声が絶えなかった。

"祭り"の始まり

事の発端は、当時の2ちゃんねるモーニング娘。ネタを取り扱う掲示*2だった。
コンサートについて語っていた名もなきヲタの一人が、
「(ライブ中)タンポポのステージになったとき、一面黄色いサイリウム*3で埋めてえなあ。」
そう呟いた。
「あなた今いいこといった。やりますか。」
答えたのは、当時多くの取り巻きを引き連れていた有名女性ヲタだった。


彼女は当時、掲示板で語っていた。
「元々は身内の出席確認ぐらいのつもりだったんだけどねえ・・・」
だが、その運動は彼女の思いとは裏腹に、どんどんネットの海へと波及していった。
黄色いサイリウムを掲げるということは、二期タンポポへの支持と、感謝であるとともに、
「一方的にユニット改変や卒業を押し付ける事務所への反発」でもあった。

当日の経過

いかに当時住人の多かった2ちゃんねるとはいえ、発信源は会場と比較すればほんの小さい、タンポポの花さながらだった。
満員で1万を超えようかという人間が、一斉に同じ色のサイリウムを掲げる、そんなことが現実に起こりうるとは誰も考えていなかっただろう。
それにもかかわらず当日、明らかに複数の人間が「黄色いサイリウムで会場を一杯にする」ために動いていた。


彼女たち以外で同じ事を企画していた人間がいたのかもしれない。
あるいは、バケツリレー式に運ばれていた呼びかけに呼応して、用意をしてきた人間がいたのかもしれない。
それぞれがそれぞれの意志で、一つの目標に向かって、ダメ元の努力を積み重ねていた。


事実として僕の身内でも、ツアー最終日となる9/23の会場物販で黄色いサイリウムを大量に買い込み、
当日仲間内で持ってこなかったヲタへ配布した人がいた。
前日僕は100円ショップへ黄色いサイリウムを買いに行く部隊に連れ添ったのだが、都内はどこも売り切れだった。
僕自身はたまたま当時持っていたペンライトが黄色い電光式のものだったため、それを持って会場に入った。

タンポポ祭り」、その後

タンポポのステージが始まるとともに、僕は一つの奇跡を見た。
見渡す限りの客席は、全て黄色い光で埋め尽くされていた。
横浜アリーナに集まった1万人を超えるヲタたちが、一斉に黄色いサイリウムを掲げたのだ。


タンポポがいっぱいだよ。


飯田圭織の声は涙にふるえていた。
当時モーニング娘。のMCは一言一句、台本どおりが鉄則。
その言葉に僕は、「思い」が彼女達へ届いたことを知った。
遠い存在であった四人のアイドル、顔も知らない多くのヲタたち、全ての人間が、一つの「思い」を共有していた。


翌週木曜日、当時矢口真里がパーソナリティを務めていたラジオ番組に、多くの感想が寄せられた。
その中で、2ちゃんねる住人とはっきり認識できる投稿が読み上げられたことは記憶に新しい。
なお、当時の録音素材を中心としたFlashが作成され、現在もこちらで見ることができる。

祭りのあと

それから、卒業公演等の度に「サイリウム祭り」として、会場全体を一色のサイリウムで統一する企画が続けられた。
僕自身はタンポポ祭りに参加したあと、恒例行事的に続けられる企画には一度も乗らなかった。
そして8年ぶりに参加したのが、奇しくもメロン記念日の解散ライブでの企画となった。


そしてあまりに劇的な幕切れは、石川梨華を中心とした三期タンポポへの冷ややかな視線を生み、
結果として「タンポポ」というユニットを事実上の活動停止状態へと追い込んでしまった。
メンバーそれぞれも問題を抱え、四人が揃ってステージに立つことは二度とない。
昨年、若手メンバーを主体として再結成が図られているが、それをとやかくいう権利は僕等にはないだろう。


だからこそ僕達は、物語を後世に伝えていく義務がある、と思っている。
例えどんな目で見られようとも。


愛するもののために立ち上がった人たちがいた。
そして僕等もまた、そういう人たちの一人だった。
彼女達も、そうだった。


僕達は確かに、一つだった。
あの時、タンポポ畑の中で。

*1:アップフロントエージェンシー

*2:具体的には、モ娘。狼板

*3:化学発光式のペンライトで、100円ショップや会場で売られている